日本における近代国家の成立

2011.09.26

「企業の立場はフランスや合衆国などにくらべると控えめであり、直接に政治の責任に参加することも比較的少なかったのである。このような妥協(企業が旧来の封建的な要素と妥協してそれをサポートするようになったこと)「注・山本」の重要な副産物として、はじめから封建的色彩の濃い官僚が発生した。官僚は平時には従順な行政機関であるが、にもかかわらず、半独立的な独自の活動を営み、強い団結心を発散している。

歴史的に見れば、官僚が独特の地位を占めるようになった理由は、維新の直後に、一方で改革的な諸藩に体現される勢力と、他方では各種企業の勢力との、微妙な均衡の上に立ったところにある。やがて官僚は兵器製造や造船といった軍事的・国家統制的諸産業を、みずから管理するようになった。官僚上層部はその大部分が従来の封建的・貴族的階級から選び出された人びとであって、職業政治家を三百代言として軽んじる地位を占め、議会のような下級機関はいうまでもなく、たとえ大臣がその(官僚集団の)集団的意志を無視して改革を試みようとしても、ほとんど干渉のくちばしをいれさせなかった。」(E.H.ノーマン「日本における近代国家の成立」岩波文庫、大窪愿二訳)1939年に調査報告書として「ニューヨークの太平洋問題調査会」に提出されたものである。1940年にはそれが刊行されている。
日本の官僚制がこれほどまでに強力になった理由を明治維新まで遡って分析している、その洞察力がすごい。

企業が政治に直接的に参加しない代わりに、その役割を官僚が代行した。官僚と企業が手を結んだわけである。官僚は一方で国家統制的産業を管理し、半独立的な行政(政府)組織になっていったというのである。明治変革の結果である。官僚組織という半独立的政府から見たら「議会のような下級機関」「改革を試みようとする大臣」なんてへのようなものである、というノーマンの分析は今の日本の現実そのものである。官僚組織は企業と一体になって日本を運営する最も強力な機関なのである。どんな政党でも、どんな大臣でも、どんな政治体制でも決して揺るがない機関である。官僚の天下りが問題になっているけど、こうして考えると、官僚と企業との関係は天下りではなくて、もともと一体的なものなのである。官僚が企業を運営しているのである。原発、東電、JR、URから始まって金融業界、建設業界、運送運輸業界、つまり業者と呼ばれる民間企業(この話も以前に書いた)は官僚組織の下部機関である。許認可権と天下りでほぼ完全に掌握しているわけである。

アレントが官僚制と「社会」との関係を指摘していた。アレントは外部に対して極めて閉鎖的な組織を「社会」と呼ぶ。(2010年3月11日のブログ参照)正に日本の官僚制は社会そのものである。選挙制度や民主主義(デモクラシー)とは全く関係のない官僚制が日本を運営しているのである。それを今から70年も前のアメリカ人が指摘している。