“みんなで仲良く”はなぜ夢のようだと思ってしまうのか
「地域社会圏」を論理的に説明するためにはいくつかの困難がある。「1住宅=1家族」をつくってきた理論が極めて強固だからである。
「地域社会圏」は不特定多数の人たちが一緒に住む住み方である。そんなことはとても無理だ,それが直感的に受ける私たちの第一印象である。多くの人がそう 思うと思う。もはや家族ですら一緒に住むことが難しいのに、全く関係のない一人ひとりばらばらな人たちが一緒に住むなんてそんな夢(ユートピア)みたいな こと考えること自体どうかしている。
でもこうした「一人ひとりばらばらな人たち」という考え方、あるいは私たちの現実的な直感は本当に正しいか。「一人ひとりばらばらな人たち」それを前提に これからの社会的な仕組みを考えることが本当にできるのか「一人ひとりばらばらな人たち」が共に住むということがなぜ「夢見たい」だと私たちは思ってしま うのか。一人ひとりばらばらであるはずの私たちが一緒に住むということは、その私たちがお互いに助け合って住むということが当然含まれている。見知らぬ人 同士が助け合って住む等ということはできない。そう考えること自体、偽善的である。それが私たちの一般的な印象だと思う。
ここには本質的な問題が潜んでいるように思う。それこそが近代主義(モダニズム)の根源だからである。「夢みたい」だと思ってしまうこと、偽善的だと思ってしまうことが、である。そう思ってしまうことと「1住宅=1家族」とは関係している。
今まで話しをしたきたように、「1住宅=1家族」には歴史がある。つまり”自然”であるわけではない。そのように誘導されてきたのである。誰が誘導してき たのか。誰という特定の人がいるわけではないと思う。恐らく経済的な成長が目的化される時期とそれは関係しているはずである。パリの二月革命(1848 年)の時期だというのが中野隆生さんの意見である(プラーグ街の人たち)。今3時15分、明日10時から取材があるので、とりあえずここまで。続きはまた すぐ書きます。