美しい町

2011.09.23

「もし科学が完全に発達した時には、今われわれが必要とするような大仕掛けな電灯会社(それは電灯ばかりとは限らないが)などにたよらずとも、一軒の家に必要なだけの光ぐらいは、ちょうど人々がランプをともすに費やすと等しいほどの手間と用意とで自分たちの電灯を自分たちの簡単な機械で灯す時代が来るに相違ない。ちょうどあらゆる家庭がミシンの機械を重宝しながら使用するように。その時始めてもろもろの機械は恐るべきものでも憎むべきものでもなくなって、真にわれわれの日常生活の仲で欠くことのできない愛すべきものになる。われわれ人間のの生活が極致に達して合理的なものになるためには、われわれの生活の反面である科学も、それ自身の方法でその極致の発達を遂げねばならない。私の考えでは、今日あるすべての有用な機械が、最も十分に発育を遂げた時には、あらゆる機械力は、そのどんなものでも、刻々に人の健康を腐食させなければ措かないような大工場だけでなければ動かさないというようなものではなくって、例えば、それは良く愛育され飼い慣らされた優しい野獣ーー馬や牛が、ただその美しい能力だけを残していて人を助けるように、そうして人々が愛情をもってそれに近づくことが出来るように、あらゆる必要な機械は取り扱いやすいものになり、個人の楽しい好きな手芸を最も機械に手助けする最上の道具になる。その時期こそ、またすべての機械工業が芸術に高められるための一階梯ででもある。

(今の)すべての機械工場はいわば芸術上のミリタリズムではないか」(「美しい町」佐藤春夫:中央公論社・日本の文学、p173)

1920年(大正9年)の文章である。ある資産家が築地の中州に新しい町をつくるという話である。設計はヨーロッパで教育を受けたけど、既に時代にあわなくて仕事のない老建築家。100戸程度の住宅群である。100年位はそこにそのままあるような町を目指す。1920年というとイギリスの田園都市計画、レッチワースの建設が1903年に始まってそれが具体化している時である。二つ目の田園都市ウェリン・ガーデン・シティ ができあがるのが1920年である。佐藤春夫はそういうヨーロッパの状況を多少は知っていたのかも知れない。でもそれにしても、科学が発達するということはその技術開発の方向が巨大化重厚化長大化に向かうのではなくて、身近にあって操作しやすくて愛着を持てるような方向に技術開発が進むはずだと思っていた。それを期待していたのである。”刻々に人の健康を腐食させなければ措かないような”原発の技術を過信して、その巨大プラントを日本中につくって送電網を張り巡らせるというような考え方を既に1920年に否定していたわけである。そういう重厚長大技術を”ミリタリズム”と言ってばっさり切り捨てている。

90年も昔の思想を私たちは反芻する。「美しい町」はまるで「地域社会圏モデル」のような町である。この小説の中では実現しない町だけれども、今度こそはそれを実現したいと思う。まず「地域社会圏モデル・リアル」という本をつくる。12月22日のシンポジウムまでにはがんばって出版したい。