石巻に行った

2011.03.10

事務所の若いスタッフと、それと横浜国大の榑沼範久さん、INAX出版の高田さん、TBSのディレクターの磯原さんと一緒に石巻に行った。TBSは「夢の 扉」という番組をつくっていて、山本を取材している。このところ、事務所にも韓国にも、自宅にも密着取材されていてその都度何かをしゃべらなくてはならな いのですごく疲れる。放映は5月15日。どんな内容なのか全く知らされていないので、かなり不安だけど気が向いたら見てください。

舟が道路にある。車が逆さまになって家の中に入り込んでいる。航空写真で見ると比較的被害の少ないと思われる場所を歩いていても、実際は凄まじい破壊であ る。呆然と歩いていたら何をしているのかと声をかけられた。避難先から少しでも使えるものを探しに来たのだという女性である。是非破壊された家の中を見て くれという。一階部分は外から流れてきた瓦礫と使っていた家具や布団や畳が折り重なっていた。ここまで津波がきたと言って指を指す。私はこの長押の上に 乗ってなんとか水に浸からずに済んだ。寝たきりの母親はたまたま空気マットを買ったばかりで、そのマットが水に浮かんで助かった。水が引いてもまわりは瓦 礫の海で途方に暮れているところに酒屋のゲンちゃんが助けに来たのだと言う。ゲンちゃんと一緒になんとか母親を二階の次女の部屋に引き上げた。そこに母親 を寝かせたけど、点滴をすることができなくて数日で息を引き取ってしまった。最後は口移しでジュースを飲ませたけどだめでした。遺骸と一緒に寝ていたんで すよ。たまたま瓦礫の向こうにいた見ず知らずの人に大声で頼んだら警察まで瓦礫を超えて行ってくれて警察官を連れてきてくれた。隣の人も亭主も死んだ。で も、今までの近所づきあいがあったから私は助かったというのである。話しをしている内に涙が溢れてきた。

こういう話しははじめて話しをするんですよ。いままでずっと涙は出なかったけど、あなたたちに話しを聞いてもらっているうちに泣いてしまって済みません。 話しを伺っているうちに僕も思わず泣いてしまった。いままで誰にも話す機会がなかったのだと思う。周囲は全て被災した方ばかりで、はじめて外からきた人と 話しをして、自分のことを話して一気に緊張がゆるんだのだと思う。家の中を見てください。何が起きたか聞いてください。

「見られること、聞かれること」それが公共性だとハンナ・アレントは言った。私たちは聞かれる権利がある。見られる権利がある。

私たちがいままでつくってきた社会は「見られないこと、聞かれないこと」、つまりプライアバシーが最大の価値であるということを前提としてつくられてき た。プライバシーを守ることが住宅の役割だったのである。いままで何度も話しをしてきたけど、プライバシーの元々の意味は”排除される”という意味であ る。社会的な関係から排除されている状態が「deprived」な状態である。それがプライバシーの意味である。住宅という小さな箱の中でそれを快適な箱 にするために花を飾り、犬を飼い、美しい調度品を揃える。その「小さな満足」で十分に満足するようになったのがフランス人だとアレントは言うけど、それは 正に戦後のわれわれである。その「小さな満足」を求めた人たちが最大被害者になってしまった。

われわれ供給者側が最大の過ちを犯してきたのだと思う。「小さな満足」をつくり出してきたのがわれわれだからである。

いままでの近所づきあいがあったから助かったという石巻の女性、安田さん(63歳)とおっしゃった。安田さんのおっしゃるように、みんなと一緒に住んでい た。誰かに話したい、見てもらいたい、という強い思いは「プライバシー」とは全く違う思いである。誰でも安田さんの話しを聞いて心が打たれると思う。
いままでの社会のつくられ方には決定的な欠陥がある。その社会のつくられ方がこうした取り返しのつかない災害を生んだのだと思う。

誰でも見られる権利がある、誰でも聞かれる権利がある。そういう社会、そういう建築、そういう住宅をつくりたい。本気でそう思った。