三浦展さん主催の震災シンポジウム

2011.07.17

昨日(7月16日)、三浦展さんが主催する「カルチャースタディー研究所」が中心になって「3・11後の社会デザイン」というテーマのシンポジウムがあった。山本事務所が共催になっていた。同様に共催をした藤森龍至さんが司会者。1時半に始まって7時過ぎまでという長丁場のシンポジウムである。一部、二部に分かれているのだけど、山本はその両方に参加して冒頭に問題提起をするという役割である。聞いていなかったのでちょっと慌てたけど、とりあえず三浦さんにあらかじめ送っておいたコメントをできるだけ簡潔に話した。

1.「1住宅=1家族」という居住システムは経済成長のためには最も有効な住宅供給の方法だった。それはこれからも有効な供給方法なのか。
2.経済成長が国家運営の中心原理になったのはいつからなのか。それはいまだに、そして今後も唯一の中心原理なのか。
3「助け合って住む」という住み方、助け合うということは今回のような非常時においてのみではなくて、平時においても極めて有効なはずなのに、そして今後の高齢化社会においては不可避の住み方であるはずなのに、それがどこか偽善的に聞こえてしまうのはなぜなのか。
4.景観を大切にするということにはどういう意味があるのか。景観は記憶である。そこに住む人たちが共有する記憶である。私たちがどこで生まれてどこで死んで行くのか、その場所が記憶されることは”私たち”という共同の意識が記憶されることである。
この4つのことをシンポジウムの冒頭に話した。
今までこのブログで話しをしてきたことである。
「1住宅=1家族」という住宅供給のシステムが20世紀の私たちの生活を決定的にした。今回の震災の最大の被害者は直接的に震災による被害を被ったけど、実はこうしたシステムによって誘導された被害者なのである。1970年以降、大規模インフラの整備は徹底して国家の専管事業である。それに対して住宅は持ち家政策が最優先されて、自己責任で住宅をつくるという国家の側の責任が回避される方向に進んだ。住宅からの国家の撤退、住宅にはできるだけ国家予算を使わない。それが持ち家政策の根幹だった。「1住宅=1家族」システムと呼んでいるのはそうした政策であり、住宅供給のシステムのことである。そのために民間の住宅供給会社、ディベロッパーや住宅メーカー、あるいは民間の金融会社は圧倒的な利益を獲得することができたのである。多くの人たちは整備されたインフラを信じて住宅をつくった。当然そのインフラは決して崩壊しないことが前提である。それが壊滅的に崩壊した。そして自己責任でつくった住宅も崩壊した。インフラは再整備されるだろう。既に進んでいる。でも自分の責任でつくった住宅には国家の側は決して手をさしのべない。すべてを失った人たちはまた自分の家をゼロから、というよりもマイナスから作り直さなくてはならないのである。流された家のローンを払い続けて、その上、新たな住宅のためのローンを組むなどということはほとんど不可能だと思う。こうした構図がなぜ問題にされないのだろうか。

問題は住宅政策なのである。その持ち家政策そのものが全否定されたのである。その深刻さに多くの人は気がついていないように思える。エネルギー・インフラを原発から自然エネルギーに転換する。ソーラー・パネルに補助金をつける。風力発電や地熱利用を促進する。問題はそんなところにはない。そんなことは誰が考えてももはや当然のことではないか。問題をそのエネルギーを消費する諸費のシステム、つまり生活のシステムそのものを変えるということなのである。「1住宅=1家族」という生活のシステムを変える。そこが中心のなのである。そういうことを話したかったのだが、何せ参加人数が多くてどこまで通じただろうか。