「帰心の会」仙台

2011.03.31

5月27日、”仙台メディアテーク”で開催された「帰心の会」シンポジウムに行ってきた。帰心はKISYNである。隈、伊東、妹島、山本、内藤の頭文字を 並べて「KISYN」、そのKISYNの当て字で「帰心」、「故郷に帰りたいという強い気持ち」という意味である。これから何かをしたいという気持ちと重 なってとてもいい言葉だと思った。その「帰心の会」の第二回目のシンポジウムである。

私は仮設住宅の話しをした。「あすと長町」という仙台市の町で建設中の仮設住宅を見て、改めてひどいと痛切に思ったからである。(いや、逆だった。5月1 日の「帰心の会」の後、5月6日にあすと長町や石巻や名取に行ったんだった。)緊急の避難先であることを考慮したとしても、この配置計画はちょっとひど い。断熱や遮音や設備計画があまり充実していないのは多くの人が指摘するように確かに問題である。でもそれよりももっと深刻なのはこの配置計画である。こ れはまるで兵舎のようである。18世紀末に最初に住宅を供給したフランスの産業資本家たちが考えた配置計画がこうした配置計画だった。実際にそれは兵舎式 と呼ばれていたのである。住宅そのものの性能の悪さを指摘することはあっても、なぜこのような配置計画をわれわれは今まで全く疑わなかったのだろうか。い まだに疑っていないのだろうか。

ここには本質的な問題が潜んでいる。

住宅は単にその住宅単体の性能の問題であると私たちが徹底的にすり込まれてきたからである。なぜか。今までずうっと話しをしてきたように、住宅は家族のプ ライバシーを守るためにこそあると私たちが思い込んでしまっているからである。供給の仕方の発端が家族のプライバシーであり、家族相互の隔離とその管理 だったからである。その18世紀、19世紀の産業資本家たちの方法は、そのまま第一次世界大戦後のヨーロッパ、特にフランス、ドイツ、オーストリアの労働 者住宅に引き継がれた。プライバシー、隔離、管理が引き継がれたのである。日本の第二次世界大戦後の戦後復興住宅がそれをそのまま輸入した。それがいまだ に民間ディベロッパーの供給方法になっているのである。

だから、仮設住宅がプライバシー、隔離、管理をその配置計画の原理にしているのは根拠があるわけである。従来の供給方法をそのまま踏襲しているだけなので ある。北側アクセス、南側採光は各戸のプライバシーを守るためである。それが孤立化を促進している。阪神淡路の時に仮設住宅で233人もの孤独死に結果的 につながってしまったのは、そうしたプライバシーに対するあまにも極端な偏重による住棟配置計画故である。でも、問題なのは多くの私たちはそれが偏重であ ることに気がつかない。プライバシーが身体化されてしまったいるからである。

仮設住宅に私がこだわるのは、被災地に限らず、それが今の住宅問題を典型的に示しているからである。

仙台メディアテークでの「帰心の会」は重かった。今、すぐに何をすればいいのか。即効薬は見つからない。同時に今までの都市や建築に対する考え方が間違っ てきたのではないかという、自分たち自身に対する本質的な問いかけが一方にある。言葉に出せば、その言葉が空しい、それでも言葉にする責任が私たちにはあ ると思う。こういう都市や建築をつくってきた責任の一端があると思うからである。少しずつでも、言葉にして行きたいと思う。5人で東北地方を巡って、話し をしたいと思う。少しずつしかできない。でも、それが未来の都市への希望に少しでも近づけたらと思う。

「帰心の会」18時40分終了、19時4分の新幹線で盛岡に行く。ぎりぎり間に合った。東北大の小野田泰明さんと一緒である。岩手県住宅課の大水さんにお 会いした。向かいあうような仮設住宅配置計画案を説明する。これを実現するのは結構大変だけど、と言いながら、実現の方向を模索しているようだった。少し でも実現したら今までとは全く違う、助け合って住むような住み方のモデルができるんだけど。

もう帰れないので、盛岡で小野田さんと山本事務所の入りたて新入生と呑む。酒も肴も旨かった。